富山に向かう峠道の中腹の左ヘアピンカーブのガードレールの外に「十三士の墓」と書かれた木の案内看板があります近くのバンガロー内にて撮影 |
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「十三墓峠」とは、岐阜県高山市国府町八日町と上宝町荒原を結ぶ「大坂峠」とも呼ばれる峠で、ここに主君に殉じた家臣十三人の墓があることから十三墓峠と呼ばれるようになった。
戦国時代の天正十三年(1582)、飛騨の派遣を争って南飛騨の三木自綱と北飛騨の江馬輝盛が現在の国府町八日町において激戦を繰り広げ(八日町の戦い)、江馬輝盛は討死し、江馬氏は滅亡した。
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それを知った江馬輝盛の家臣十三人は、主君の後を追うようにこの峠中腹で互いに刺し違えて主君に殉じた。
村人は主君に殉じた十三名の冥福を祈るため、十三の墓を作り、目印としてそれぞれの墓に木を植えた。それ以来、いつしか「十三本木(じゅうさんぼうぎ)峠」と呼ばれるようになり、明治になり地図を作成したときに、「じゅうさんぼうぎ」という発音に「十三墓岐峠」の字を当てていた。
その後、十三本の木(墓標)の所在は定かではなくなり、墓は一箇所に合祀され、「十三墓峠」と呼ばれるようになった。
峠から少し下った雑木林の中に大きな自然石に「十三士之墓」と刻まれた立派な慰霊碑が建立されている。 |
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小雨が降ってきたので退避しかし夕方には大雨に打たれて撲滅、洗車御PM9:00となった最悪の表示灯 普通型(丸型)でもあった。 |
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